「聖徳太子は10人の話を同時に聞けた」は本当か?
よくある説(俗説)
聖徳太子は10人の訴えを同時に聞き、すべて正確に理解できた
聖徳太子はひじょうに頭が良く、10人が一斉に話しかけても全員の話を聞き分けて答えられたという伝説がある。聖人・天才の象徴として小学校の社会や歴史の授業でも語られてきた。
検証
この逸話の初出は『日本書紀』(720年成立)で、「太子は一度に10人の訴えを聞き、誤ることなく判断した」という記述がある。しかし日本書紀は聖徳太子の死(622年頃)から約100年後に編纂されており、その間に伝承が変形・誇張されていることは歴史学的に広く指摘されている。なお、より古い史料とされる『上宮聖徳法王帝説』では「8人」版の伝承が記されており、数字そのものも史料によって異なる。現代の歴史学では、大山誠一氏(中部大学)が1990年代以降に「聖徳太子は後世に創作された虚構の人物像」であるという説を提唱し、一定の支持を集めた。通説的な見解では、「厩戸王(うまやどのおう)」という実在の皇族が政治的に活躍したことは認めつつも、「聖徳太子」として伝わる事跡の多くは日本書紀編纂時に理想的な聖君のイメージが後付けされたものとみられている。実際、2017年前後から日本の教科書でも「聖徳太子」から「厩戸王」への表記変更や、「10人の訴え」に関する記述の削除が進んでいる。認知科学的にも、人間が10人の異なる音声を同時に処理して内容を理解することは不可能だ。この逸話は歴史的事実の記録ではなく、多くの民の声を公平に聞く理想的な統治者像を象徴する「徳の物語」として理解するのが適切だ。
実際の有力説
「10人を同時に聞いた」という逸話は、死後100年以上経って編纂された史料に由来し、歴史的事実としての根拠はない。現代の歴史学では伝承の誇張・後付けと評価されており、教科書でも扱いが変わりつつある。聖徳太子(厩戸王)の実在と政治的活躍は認められているが、超人的な能力の記述は神話的な性格のものだ。
なぜ広まったか
日本書紀という権威ある史料に記されたこと、および「聖徳太子=偉大な指導者」という国家的なイメージ形成の必要性から、逸話が積極的に教育の場で使われた。長年の教科書採用により、検証されないまま「歴史的事実」として広く認識されるようになった。
見分け方
古代・中世の人物に関する「超人的能力」の伝承は、権威付けや理想像の構築を目的とした後世の創作である場合が多い。その記述がいつ・誰によって・どんな目的で書かれたかを確認することが重要だ。一次資料(当時の文書)と後世の編纂物を区別する習慣を持つとよい。
出典
- 日本書紀— 舎人親王ら(720年成立)
- 聖徳太子の実像— 大山誠一 / 中公新書 (2003)
- 上宮聖徳法王帝説— 著者不詳(8〜9世紀成立とされる)